貴ノ岩の暴行事件から考える加害者と被害者と善悪の関係
最近、暴行事件が多く取りざたされている。
その中でも暴力事件の被害者だった貴ノ岩が加害者となって暴力事件を起こしたということで、ワイドショーは格好のネタとして大いに盛り上がっている。
事件に関しては本人同士の問題なので、赤の他人が口を出すことじゃないと思っているのでこの件に関して意見を述べるつもりはありません。
それよりも今回、個人的に考えさせられたのは加害者と被害者の関係性です。
ワイドショーやニュースで事件の内容を聞くと加害者は悪人で被害者は善人というイメージができあがってしまいます。
でも、よく考えてください。
加害者が悪人としてイメージされるのはわかりますが、被害者は善人とは限りません。被害者は被害を受けた人というだけです。被害者に対して善悪はないはずです。
でも、人は加害者=悪、被害者=善というイメージを持ってしまうのです。これは完全に錯覚なのですが、本人自身も気づいていないので非常にやっかいです。
もっと考えると、加害者は本当に悪人でしょうか?
確かに事件を犯したことは悪いことです。犯した罪は償うのは当然です。
でも私たちが知る加害者に関する情報は事件の悪い部分だけです。
それだけで加害者が悪人だと判断ができるのか疑問に思います。
例えばこんな場合はどうでしょう
□AさんがBさんを殴った。
この場合はAさん加害者、Bさん被害者ですね。ニュースではこの部分が流れます。
でもこうなるとどうでしょう?
□BさんがAさんの奥さんを殺した。
□AさんがBさんを殴った。
この場合ではBさんが加害者、Aさんが被害者に思えます。
切り取り方で善にも悪にでもなる恐れがあるということなんです。
また、私は完全な悪人は存在しないと思っています。どんな悪人でも家族もいるし、仲間や恋人もいるでしょう。家族からは信頼され、仲間には必要とされ、恋人には愛されているかもしれません。悪人でもその人たちには善人としての一面があるのです。
逆もしかりで、お坊さんや警察官が羽目を外すこともありますし、犯罪を犯すこともあります。
悪人にも善人の一面があり、善人にも悪人の一面があるんですね。
つまり、加害者と被害者は表裏一体の関係なんです。
だから、私たちが認識しないといけないのは、加害者にも被害者にもなる可能性があるということです。
そして、上辺だけの情報で人を判断しないこと。レッテルを張らないことを意識しましょう。
現場からは以上です。